日本の労働力のはなし

今回は日本の労働力のはなしをしてみたいと思う。

例えば東京のコンビニを想像してもらいたい。

コンビニの店員はほとんどが外国人である。中国系が多いが東南アジア系の人も多い。

コンビニの店員が外国人であることに昔はやや抵抗があった。ちゃんと仕事ができるのか?とか、おでんというものをちゃんと理解しているだろうか?とか思っていた。

しかし、である。コンビニ店員の業務は外国人でも十分勤められる。いやむしろこのご時世ともなると外国人店員の方が安心感がある。

外国人だから少々至らない点があっても許せる。母国から離れ、一緒懸命に勉強&仕事して家族に仕送りしているんだろうな…なんて勝手に想像する。各種メディアで登場するとんでも客も外国人店員相手ならばそうそう因縁をつけることもないだろう。

社会が成熟するにつれて便利な世の中になるが、それと切り替えに息苦しさも増えてくる。SNSなんて最たるもの。自分もある程度はこういったサービスやテクノロジーは利用していますが、無い方が良いに決まっている。このような社会の閉塞感で溜まった鬱憤のはけ口はコンビニのような業態で生じ易いと思う。

だから、日本人はコンビニの店員をやりたがらないのだと思う。コンビニの他にも楽で時給の高いバイトがある…という考えもあるだろうが全体を俯瞰すれば前者の考えを取っても間違いではないだろう。

いまはコンビニ店員が外国人率が高いが今後外国人占率が高まる仕事は増えていくだろう。いや、コンビニ店員のような人目につかないようなところではもう既に多くの外国人が日本人に取って変わっているのだと思う。

例えばチェーン店の居酒屋や飲食店のキッチンやホール。こいった労働環境も数年もすれば外国人しかいなくなる可能性が高い。再度言うが、この状況を憂いている訳ではない。むしろそっちの方が都合が良い。ゆとり世代の使いづらい人材で現場が混乱するならば、ちょっと言葉は伝わりずらいけど、従順な外国人店員の方が客としても歓迎である。

であるからして、日本の現状を考えるとAIに仕事を奪われる前に外国人に仕事を奪われると推測します。奪われる…というよりも自ら職を捨てているとも言えます。

これからの社会において、有利な条件で働く場合、資格がますます強くなっていくと思います。なるべく有資格者が少なく、需要が高い資格が強いと思います。

資格職でない場合、その人の実績が重視されると思います。学歴もあればなおよしでしょう。世の中では学歴なんて必要ない…と叫んでいる方々も多いですが、それはその人に何かしらの秀でた能力があるからであって、これといった能力がない場合、学歴が唯一の武器となるはずです。

日本の経済が成長している時代ならば、あまり考えずにがむしゃらに働いていれば普通に幸せな生活がおくれたと思います。

しかし、経済が伸び悩んでいる現在、普通にがむしゃらに働いてもかつてのような収入は得られないし、貧困になるのは見えています。

それに気づかず、努力もせずに漫然と生きているのは愚の骨頂と思います。

ある程度、未来を見据えて自分の人生をデザインするのが大切な時代になっていると痛感します。