昨日元同僚達と飲んだんだが
— 夜神月風 (@yagamifu) October 11, 2019
総合職同士で結婚した家は
食事は栄養士が考えた料理を冷凍でアマゾンに送って貰ってるらしい
美味いし栄養価考えられてるし1食400円だし最高だよ
と言ってた。家事の中の最大ウェイト、買い出しと食事作りが一食400円で消えましたね。
便利な世の中や
効率化=便利と非常事態は表裏一体である。
効率化原理主義
上記ツイッターのつぶやき。効率化原理主義者の権化のような内容である。ま、食事をどうするかなんて各人の好き好きなので今回の記事はあくまで自分個人の独り言レベルのはなし。
確かに人間というものは効率化を追求する生き物である。効率化を追い求めたが故に発展してきた。だから、効率化そのものは否定はしないし、できない。
だがしかし、である。
効率化を追い求めつつ変化させてしまってはならないこともある。
例えば上記ツイッターに埋め込んだ話。
家事の効率化を追求した結果、アマゾンで仕入れた栄養士監修の冷凍食品で済ます・・・という事態になっている。
例えばこういうのを週三回、忙しい日などにして、あくまで忙しい日の代用にするならば問題はないと思われる。
しかし、毎日であったらどうだろうか?
毎日三食効率化を極めた冷凍食品を食べて育つ子供はどう成長するのだろうか?両親の愛情のこもった手料理を食べずに育つ子供の不幸さよ。
また別の問題もある。
食事を冷凍食品に頼ることによって本人の料理テクニックが上昇しないどころか、料理すら作れない状態になってしまうことだ。
できる人がやればいい
分業化もまた人間が発展する際のキーワードである。
太古の昔はファミリーですべてのことを行ってきたが、人類の発展により分業化が進んだ。もちろん、家事の分業化の進んでいる。もちろん、電気機器の発展によるものも多いだろう。
現代社会においては家事のさらなる分業化が進み、家事を細分化し、それを外部(ヘルパーなど)に委託したりしている。
つまり、他に代替できるモノやシステムがあって金銭的に余裕があれば自分がやらなくてよいことになる。できる人がやればいい、ということである。
食事以外にも掃除・洗濯といった家事は無数にあるが、こういったものをすべて外注しているとすると、いざ、自分でやらなければならない時こまるのではないだろうか?
確かに、洗濯なんて汚れた衣服を放り込み、洗剤を入れてボタンを押すだけだし、洗い物も食洗機に入れてボタン押すだけだろう。そんなものいざとなれば自分で余裕でできる・・・そうだろうか?
確かに一回、二回程度ならば問題ないが継続的に起こった場合はどうだろうか?
洗濯機のゴミキャッチャーの掃除や食洗機のつまりなどが起きてくる。そういうものに対して対応できるのだろうか?疑問である。
常に効率的な空間に居住
『常にハイテクな大都市に住んでいるからそういう問題考える意味がない。』こういう風に言う人も多いでしょう。実際的にはそうなのかもしれない。
だが、今回の台風19号のような自然災害で自宅が冠水などしたらどうだろうか?
いつも家事を外注していた人は非常に大変な思いをするのではないだろうか。
配送システムが遮断され、コンビニにも食材はない。冷蔵庫には飲み物や軽食だけ。仮に食材があったとしても調味料も充実していないし、なにしろ作る人の能力が低い。『クックパッド』みれば誰だっておいしく作れる・・・本当にそうだろうか?
効率化に頼って生きていると思わぬところで大打撃を受けるような気がします。ま、揺るぎない資産があれば自然災害があって被災したとしても問題は少ないのでいいのかもしれませんがね・・・。