以前のエントリーで関連病院について述べた。
今回はどのようにして関連病院という概念が形成されたのかを考えてみたいと思う。
日本医療の原点は旧帝医学部
日本の病院をはじめとする組織・人材の原点は北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、大阪大学、京都大学、九州大学の旧七帝大の医学部である。
まずこの大学に医学部ができて医師が輩出されることになる。もちろん、医学部と医学部付属病院はセットで設置されているはずである。
なので、日本に市中病院ができたのは医学部付属病院のあとである。
新しく市中病院を作るためには医師の確保が重要である。しかし、新設の病院だと建物はキレイで良いが、働く環境としては未知数である。なので、医者は簡単には集まらない。
そこで市中病院の設置者である国・市町村は医学部の臨床系の教授にお願いして医師を派遣してもらう。
そこでの教授側の要求は『医師派遣をするかわりに、診療科の運営は我々で決めさせてもらう』である。
ちなみに給料や福利厚生などは教授側では基本的には自由にはできない。これは設置団体の法律やらなんやらあるのでそっちに従うしかない。
このような流れで医学部付属病院の関連病院が増えていくこととなった。もちろん、早くに設置された旧帝大医学部が多くの、広範囲に渡る関連病院をもつのは当然の流れである。
新設医学部の教授はどこから来る
実は新設された医学部の人事配置も関連病院的な動きをみせる。
新設された医学部の教官はどこからくるのだろうか?それは既設置の医学部からである。
よって、旧帝大医学部出身者は近隣の新設されている医学部に多くの教授を輩出している。
もちろん、新設医学部の卒業生が増えて力をつけていけば自大学の教授ポストは自大学で埋まっていくだろう。しかし、それはかなりの時間を要する。また、教授ポストは誰もが就きたいものであるので、連綿と旧帝医学部が牛耳っている教授の座を明け渡すのは難しい。
だから医学部は歴史が重要
このように病院に限らず、医学部ですら先行者利益で旧帝医学部が幅をきかせている。これは学力が高いのもそうであるが『早くに設置された』ところが大事である。
なので、医学部を選ぶ際には創立の年を調べたり、関連病院の多さを考慮した方がいいだろう。